わたしは堺市出身で農業の研究をしていた父と明るい性格の母、3つ下の弟と4人家族で育ちました。
幼いときから人懐こく、外に出れば年代関係なく誰にでも声をかける子供だったので、多くの友達ができました。

高校時代、地元の寿司屋で初めてアルバイトをしました。
今だにお世話になるほどの付き合いで、この時に人から喜ばれる嬉しさを教わりました。

私が大学生の時、父の出資していた事業が破綻し、やむなく学業を断念することになりました。
当時は就職氷河期と言われ仕事は全く見つからず、最初に就職できた仕事が美術出版社の営業でした。
そのころ友人の紹介で知り合った妻と30歳で結婚し、西宮へ引っ越し…

この新婚間もないときに妻が家の前で大事故に合い、下半身不随になる可能性があるとの宣告を受けましたが、必死のリハビリなどで奇跡的に回復しました。
しかしこの事故の影響により子供を授かる選択を苦渋の末に断念し、更には仕事の業績悪化で退職することになりました。
ようやく妻も復帰できた矢先だったので、「ここでは終われない。なくてはならない人になる」との思いで、バイトを掛け持ちしながら東日本大震災の年に印刷会社の営業で何とか再就職できました。

着実に成績を積み重ね、大手企業を担当できるようになったころ「名刺に点字を打てないか」との相談を受け、初めて福祉の現場を知りました。
これはもっと展開できると思い本格的に営業すると大手から受注を受け、新たな売上げに大きく発展し、更には施設からも喜んでもらえ、売り手も作り手も喜べる関係の大事さを肌身で実感しました。
ありがたいことに、印刷以外の相談も日常茶飯事。
担当者の異動や退職があると会社の送別会に業者の私が呼ばれたり、結婚式まで招待されるくらいの関係を築かせていただきました。

高校卒業後に苦学して入った大学を中退し、結婚間もなく妻が交通事故に合い子供を授かれず、すがる思いで入社した会社を退職した経験があります。
苦しんでいる人の気持ち、生きづらい人の気持ちが痛いほど分かります。
また2年前の3月、父が肺がんのため79才で亡くなりました。
コロナ禍ということで入院してから面会が出来ず、危篤の一報を受けて初めて面会が出来ましたが、逼迫する医療現場と入院する家族に隔たりがあることを痛感しました。

わたしはこれまで数多く悩み、苦しみました。しかし苦労した分だけ希望は広がる!苦労は必ず報われる!と確信しています。
実体験を元にしげひさ大学は今、苦しんでいる人が手を伸ばせる、どんな人も希望が持てるまちづくりを目指してまいります。